本 リスト

さまよう刃 東野圭吾
ジェノサイド 高野和明
オフシーズン ジャックケッチャム
子供を殺してくださいという親たち
いつかの夏
赤い指
殺しあう家族
消された一家
空白の叫び
鬼畜の家
誕生日を知らない女の子
隣の家の少女
金色の祈り
帝国の慰安婦
沈むさかな
呪眼の連鎖
逃亡作法
霊眼
果てしなき渇き
しほ
ヴェニスの商人
砂の器
車谷長吉
素晴らしい新世界
所有せざる人々
闇の左手
雨月物語
みなさんさようなら
幸福論
アンドロイドは電気羊の夢をみる
彼岸過ぎまで
柚月裕子
誉田哲也
魔の山
山田悠介
メッセージ
万能鑑定士きゅう 松岡圭祐
火葬場のない街に 漫画
グレードギャツビー フィッツジェラル
ポジティブ病の国、アメリカ
楽園 鈴木光司
ぼくだけがいない街
アンドロイドは電気羊の夢を見る
デミアン
アラビアンナイト
シェイクスピア
タルムード
ヴェニスの商人
チャンドラー
幻の女
ハッカーと画家
サルトルの嘔吐
暴力から逃れる15の方法

 

 

 

 

メモ

「非常に美しい構想というものは、かたちづくられつつある過程では、ばかものたちにとって滑稽に見える部分をふくんでいるのです・・・独自なままでいることです」(『反好事家八分音符氏』より)

今は明るいことは何も書けない。僕は常に正直でありたい。明るい時に暗いふりをしたり暗い時に明るいふりをしたくない。

ことツイッターにおいては、怒ってる人にいくら懇切丁寧に説明しても新たな怒る理由を探しては怒り続けるタイプが多いので、「ワタシトアナタ、ナカヨクナレナイ。ワタシ、カナシイ」と涙をこらえながらそっとスパブロしてます。

会社の人がめちゃくちゃにキレながら会社の悪口を言ってきて最終的には「無駄!全員生きている事が無駄!」とか言ってて、ここまで振り切れた悪口、良い…と思った

人に説明をするときはフォアグラを作るんだという気持ちを持ってとにかく流し込める状態に加工した情報を相手が逃げないように捕まえて固定して流し込むというのを意識するとそれなりに理解を高められます。
52:23 id:qfM
「信頼」が最も社会的コストを低くする最善のもの
だとどっかでえらい人が言ってた

表現することは誰にでも許されていて、完成度に優劣はあるものの上手い下手は経験値で補えるものだから、大切なのはやりたいと思う衝動とやり遂げる実行力である。但し、本来の表現は自己完結する物であって、評価を含め他者には依存しない。第三者の目を気にした瞬間から、その表現は色褪せていく。

文庫本とケータイと菓子とビールが入ったコンビニ袋だけ持って行ってひとんちでだらだらしたい

人間という生き物は文章を書いている時点ではそのお粗末さに気付かないし、スパゲティを鍋に投入するまではその量の多さに気付かないし、家を出るまではそのファッションのダサさに気付かない。けれども止まない雨などないし、明けない夜もない、つまりお前はいつか死ぬ、ずっと生きられると思うなよ

夢を見た。病院に篭り何者からかの攻撃に怯えている何十もの人々。その中で

、食料の奪い合いが起きたりしているさなかに何者かが侵入してきてランダムに人々を殺していく。その殺人者は何故か、山田孝之笑。しかも殺し方が完璧に貴志祐介さんの『新世界より』そのもので笑うしかない。悪鬼が町を襲っていき、残酷に殺していく感じ。なんでこんな夢見たのかな?まぁ、これは完璧に『新世界より』の事を考えまくっているからか。でも一つ引っかかるのは、この夢の中で片脚を怪我して歩けない同い年くらいの男の子を助けたことだな。何で助けたんだろう。一人で歩けないなんて、あの状況では致命的だし足を引っ張ることしかしないのに。助けてどうしたかったんだろう。でもきっと、私の助けた男の子は聡明で優しい子だったんだろうな。そう、『新世界より』の青沼瞬君のように。例え、フィクションであっても彼が死ぬのが本当に悲しかったんだろうな。。

生まれた人たち。生きている人たち。

沢山の人と話した。話し続けていると、そのまま話すのが癖になるのがわかった。いきなり共通点なんて見つけられないし、通じあうには時間が必要。その時間を少しでも短くするために、会話の中に沢山のキーワードを散りばめて相手の中で引っかかる単語が出てこないかをひたすらに模索する。それが大事なのかもしれない。いちいち言葉に怯えていたら、何も広がらないし何も生まれない。これが生産性がないということなのかもしれない。語学ができるようになりたいけど、語学ができるようになるだけじゃ駄目なんだ。語学から広がる日常的な会話、専門性の高い会話ができるようにしなければ行けない。だから、日頃からしっかりとアンテナを張っておかないといけない。文字を沢山読んで、朗読して、自分の中にインプット。そして、人に話したり、考えたり、会話したりしてアウトプットしなければならない。それらを繋げたり、短縮したりして新たな発想を生み出す。その為には何度も鍛錬しなければ行けないし、試行錯誤しなければ行けない。調べる癖をつけて、覚える癖をつけて、話す癖をつける。人間は沢山いる。国民性や文化という言葉で片付けてはいけないほど、根深い人間の心理の中で絡み合っている。表面上に見えてるのは、全体の5パーセント程なのではないかと感じた。皆、自分を隠している。自己保全の為か。恥ずかしいのか。両方ともあるだろう。話してみると、意外な繋がりや驚きが発見されて愉快な気持ちになることもあるだろうに。傷つくことを恐れて身動き取れなかった自分を捨てよう。傷ついて傷ついて、沢山傷ついて学習するしかない。それしか地道に成長する道はないんだ。

無意識な協調性

昔まであった協調性が大学四年生になった今、全くと言っていい程になくなった。自分に協調性が無いことは充分に理解しているし、どうにかしないといけないとは無意識に思っている気がする。でも、駄目。上手く輪に入れない。いや、今まではあったと思っていたが、きっと昔から協調性に欠けていた。友人5人程といても、気づいたら私だけ蚊帳の外のようなことが何度かあったではないか。気づいてないふりをして、自分を守っていたんだ。でも、この年になったらもう見て見ぬ振りは出来ないし、改善させないと自分の将来に多大なる悪影響を与えてしまう。何に怖がっているのかな、私。怯えて何も言い出せない。他人を優先しすぎた結果がこのような性格となって出てきてしまった。やはり、我が弱いよりは強いほうがましなのかな?ぶつかりたい。そうすれば新たな糸口が見えるんじゃないかな。沢山の人と話したい。きっと、今の私には辛いことだと思うけどそうするしか道はない気がする。

会話力

旅行に来てから毎回気づくけど、怖い。人と話すことに対して無駄に考えて遠慮してしまうようになったから、全く上手く話せない。こんなものなのか。いや、違うよな、、、無邪気に話せる人が羨ましい。けど、同時に疎ましい気持ちにもなる。無邪気な人は、対コミニュケーションの時に何の気も使わずに素直に、人を試すことなく自由に喋る。その自由奔放さに楽しませてもらうこともあれば、無神経さに傷つき怒りを感じたり、もはや怒りを通り越して悲しくなったりもする。でも、こんなこと感じている時点で何だか自分って負けてるんじゃないかな、いや、負けてる。人の顔色を伺い、試すようになってから明らかに、自分も相手も楽しくなくなった。あの頃は何故あんなに、無邪気に話してたんだろう。会話力を向上させようとして色々と調べて参考にしたから?友達と沢山ケンカしたから?ぶつかり合った先に何が生まれた?

まぁ、人と話すのが下手くそって致命的すぎてどうにかするしかないんだけどね。結局、自分から話すしかないんだよな。私に限らず、恐らく日本人がみんなそうなんだよね。相手が情報を提示してから、自分の情報も少しずつ提示していく。相手が提示しなければ、必要以上のことは言わない。だから、なるべく会ったら早いうちに情報を提示して安心感を与えたほうが打ち解けるのも早い気がするな。

あぁ、また続かなかった。

久しぶりのブログを書いている現在は上海に来ている最中。隣には二人の友人がぐっすり、ふがふが、すやすや寝ていて心地よさそう。二人とも恋人がいて、愚痴りながらも満たされた時間を過ごしているのがひしひしと伝わっている。完璧ではないけど、自由なのか、無理をしていない。嘘をついてない。羨ましい。

他人に嘘をつかない代わりに、自分に嘘をついている自分は一体どうすればいいのか。中々答えが見つからない。これからも探していくが、人間様々な思想思考性格のやつらがいるかここまで違っているなんて、自分が馬鹿らしい。でも、馬鹿になれないこの頃。不真面目な頃はここまで悩まなかった。真面目になり、完璧には程遠いが目指している自分は欠けている物が多すぎる。とりあえず当たり前のこと?を、当たり前に。優しく生きていきたい。おやすみ。