ねじまき鳥クロニクル

この本は古本屋で適当に選んで買った。「村上春樹かぁ〜有名だし安くなってるし読んでみるか」そんな軽い気持ちで読み始めた。

全体として面白いことには、確かに面白い。

いや、面白いというよりも興味深いかな。このストーリー、全くもって摑みどころがないんだよね。主人公も、その妻も、近所の子供のメイも、間宮中佐に本田さんも。全てが朧げにストーリーを埋めている。

でも、そんな曖昧な中で生きるということについて様々な提議がされている。

悪意と善意。人に稀に起こる奇跡体験について。人間の信頼関係。

そう、関係性。いつもと違う妻の様子、そこからもう帰ってくることのない妻。

捜すために四苦八苦するも、前に進まない。

そんな中で本田さんから、ノモンハン体験を聞く。『皮剥ぎボリス』『光の洪水』。

人間は沢山の事を見落としがちだけど、それらの見落としていた物事一つ一つに関心を向けられるようになると、発見があり感覚が過敏になり新鮮な体験をできるだろう。でもその新鮮な体験が、良いものかと言ったらそれは一概に言えない。一概に言えないというよりも、良いと思ってもそれは全くの思い込みにすぎない。悪いことを認めたくなくて、良いことしか認めない。揚げの果てに悪いことを認めず、逆に良いものとして認知する。

これはつまり思い込み、そう、暗示でほぼ100パーセントうまくいくことになる。

 

それを否定して、俯瞰的立場で見てるような文章の書き方が村上春樹にはある。

そして、その要素が色濃く表れてるのがこの「ねじまき鳥クロニクル」だ。

 

音は風に乗って私の耳に吸収される。

太陽は光によって私の体に吸収される。

でもそれだけでしか、自然を感じることが出来ていない。

 

本田さんのノモンハンでの体験、

あの井戸の底では、本田さんを待つ人も居なければ本田さんが誰かを待つこともない。ただただ時間軸が横に進んで、自分の体力が下に落ちていく中で、太陽が一番高い位置に来た時だけ起る、光の洪水だけを渇望する。人はもはや関係ない。自然だけが、本田さんの存在を確かなものとしてくれてる。 

人には、喜怒哀楽なんてものがあるけれど本当の感情の源泉はもっと違うものなのではないか。もっと微妙なあまり違わないようだけれど、確かに違う、言葉にするのはまだ出来ない、何か。

 

 

働くことは生きること。働くことは食べることに繋がり、結婚することに繋がり、年を順調にとって行くことに繋がる。働くと人間は成長する。嫌なことがあったら、どうすれば嫌なことを避けれるか、どうすれば嫌なことに立ち向かえるか。自分なりに考えて、答えが出なかったら、調べよう。それでも見つからない時は、とりあえず職場にいって働こう。そうすればまた新たな困難にぶつかって、同じことを繰り返す。大抵人間は、解決せずとも物事のなりは進んでしまう。花はやがて咲き散り、空は色を変え、月は永遠にそこにある。隠れることもあるけれど、やはり永遠にそこにいてくれる。嫌なことがあったら月をみよう。きっと平安時代紫式部も、フランス革命のナポレオンも、みんな見ていたはず。そしてみんな苦しんで、時の流れの中の刹那に哀愁を、感じていただろう。

堕ちた

落ちてきた心の行き場は一体どこだろう?素敵な音楽を聴いてもいまいち精神が正常値に達しない。嫌なことがあるとすぐこう。やっぱり私にはメンタリティの強化はまだまだ難しそうだな。押しが強い人間は苦手だ。強すぎるとやっぱり断れない。私はどんどん食われていくタイプだと思っていたけど、本当に断るのが向いてない。軽くかわして逃げてしまえばいいのに、なんで逃げないの?どうせ自分の体と心を犠牲にして、相手の要求に飲み込まれて欲求の足しにされてしまうのかな。どうしよう。要求してきた相手は何も困らないだろうけど、受けて側はずっと悩むし心配するんだよ。こんな憤懣をここで書いてもどうしようもないのは分かっている。けど、書いたらきっと何かしら影響すると思う。過去か未来か、はたまた現在か。この思いを今に反映させて未来に反映させ、過去すら変えることができたら、、、。悩むことと心配することは生きる上においていらないものなんだよ。それらの種が撒かれないように、悪い芽は最初から断っておくべきなんだ。弱い。押しの強い人は苦手だ。逃げてはダメだよね。強くなるしか道はないの。強くならないと。戦わないと。怖い。けど、これ以上生贄にされてちゃダメだ。私は悲劇のヒロインにはならないんだ。喜劇のヒロインになるんだ。守ってほしいけど、守ってもらえないから。人間、誰しも縋りたくなる。弱いから。誰かのせいにしたいから。誰かのせいなことなんて一つもないのに、全部自分の選択で起こることなんだよ。その結果が客観的に見て、良いものでも悪いものでも主観を変えればパラレルワールドに行くことが出来るかもしれない。

どうすればいいのか全く、わからない。でもそれは皆同じ。直近のことは分かったとしても、何年後、何十年後なんて誰にもわからない。あくまで予想を述べて、それが不特定多数の人にたまたま支持されて、または支持されるようなことをしていると思われる人間が言っているから信じるだけ。予想は外れることを前提にして、言われてる。それが本当に偶然の確率で当たって、それで偶々支持されてきて、なんとなくで影響されているだけなんだ。輝く明日なんて言うけれど、そんなこと誰が言い出したんだろう。太陽は輝いていても、私たち人間は輝いてなんて全くない。無理矢理持ち上げた気持ちはやがてボロが出てくる。今に始まったことじゃない。現在をコントロールするものは過去をコントロールし、過去をコントロールするものは現在も未来もコントロールする。

 

考えてみると

やはり人間は様々なことに手を出すべきだと思う。様々な事とは本当に多種多様な事だ。世間一般で当たり前とされていることの更に外にある物事と触れてみる。意外な組み合わせによって、意外で驚くべく発見がある。つまり化学反応だ。多趣味な人はつまみぐいが大好きとも言えるし、突き詰めて言うととても好奇心が旺盛であり木の根のようにあちらこちらと伸びていく。繁殖力は竹の如し、とでも言うか。竹のようにニョキニョキと伸びていった根は意外なところで、全く想像もしていない人や事と絡まる。私はピチピチの女子大生(と言っても卒業を間近に控えたピチピチさの欠片もない四年生だが)であり、タピオカを現在片手にこのブログを打っているけれど、このタピオカも追求すれば日本を超えて韓国や台湾のタピオカなどもSNSで出てきて、よしこのタピオカを飲みに台湾に行こうとして行ったとする。そうすると他の食べ物も食べることになり、異国人とのコミニケーションも出てくる。そうすると好奇心旺盛な人は他の国の人はどんな性格なんだろうと考えて、またどこか遠くへ行く。そのような形で関心事は広がっていく。でも、別に遠いお国に行かなくても、日本国内でもこのような雰囲気を、異国人を感じる事は容易にできる。そうして、日本の台湾料理屋や韓国料理屋に戻る。「あぁ、そうそう。この味、この言葉。」結局、全ての物事って一直線ではなく丸であって、その丸が重なり合って何十の丸にもなっていくのだなと思った。地球が丸くて、人との繋がりも結局丸になる。関係ないと思っててもどこかで繋がっている。関係ないと思ってたあの有名人が実は同じ地元に住んでる、関係ないと思ってたあの犯罪者が実は友達の友達のお父さんの従兄弟の、、、結局どこかしらで繋がるんだな。あれれ、何が言いたいのかわからなくなっちゃった。ブログをしっかり

書かないから長い文章書くとこうやってトンチンカンになってしまう。多趣味は逃げ道になるってことを言いたい。でも中々、最初手を出し始めるのが難しいんだよね。良いきっかけがないと。あぁ、悪くてもいい。とにかく良くも悪くもきっかけを上手く拾えるかなんだよね。誰かが落としてくれたキーワードを、拾って疑問を抱けるか。調べてみようと思わないとせっかく落としてくれたきっかけを見過ごすことになる。そんな勿体無いことはしてはいけないよね。だから、わからないこともわかってることも、わかってるつもりのこともハテナをもつことだ。よね。私?

葉桜の季節に君を想うということ

友人に薦められて歌野晶午さんの『葉桜の季節に君を想うということ』を読んだ。友人からは「絶対にレビューを読まないでね、最後に吃驚するよ。」というおきまりの言葉を頂き、「この響きはどこかで聞いたぞ?」と思った。そして私の脳裏には今まで読んできたミステリー作品が飛び交い、我孫子武丸さんの『殺戮に至る病』が思い浮かんだ。後は、乾くるみさんの『イニシエーションラブ』。結果的に言うとドンピシャ。叙述トリック時系列の誤認識だった。確かに時系列をずらして読者を騙せるのは純粋に凄いと感じるけど、この手の作品って大体その先がない。「うわー!騙された!で、この先はどうなるの?!」と思い、読み進めたらすぐ終わってしまう。途中である疾走感が後味の微妙な終了を迎えるのね。恐らく作者の方々はこの時系列倒錯に満足してそこで物語を終わらせてしまう。勿体無い!これ程頭の使う作品を書けるなら、あと少し捻ることも出来ただろうに!あぁ、もどかしい。

でも誤認識すると、自分の思い込みの激しさや疑問の抱き方にとてつもない緩さがあることに気づかされる。私の凝り固まった常識が、他の人には通用しないのなんてザラにあるし、例え自分の目で見たものでも当たり前だと思って信じ込むのはいけませんね。21年間しか生きてないわけだし、知識も少ないし、その中で自分の目を通して物事を勝手に判断するのは良くないね。確かに判断するのは大切だけど、疑問疑問で生きないと。興味を持たないと。興味を持って、疑問を抱いて、取り込んで、確認して。それで知った気になるのはいけない。だからもっともっと沢山の事を頭に入れないと。そして、沢山の話を聞かないと。村上春樹さんの『1Q84』で、タクシーの運転手が言うセリフ「一つ覚えておいていただきたいのですが、物事は見かけとは違います。見かけに騙されないように。現実というのは常に一つきりです。」と、誰が言ったかは不明だけど「物事には必ず二つの側面がある。」という言葉の本当の意味がやっとわかった気がする。中身を確認せずに見た目で判断してしまうことが、今過ごしている生活で多すぎるってことなんだ。口に出して相手に確認しないと。黙って自分の中で勝手に考えて判断して、それで解決させちゃうのはとても勿体無いし、ある意味では悪になるうるかもしれない。情報社会だけど、情報を鵜呑みにするなってこと。見聞きした情報を第三者に流すのは、もしかしたら大変な影響を与えるかもしれない。

独断危険だね。

前には光があったか、後ろにはあったか。小学生の時に、カーテンの隙間から差し込んできた朝焼けの光は強烈に私の脳裏に焼き付けられた。絵本を読みながら光を受けた。絵本には虹色の魚が大きく描かれたそれは美しい絵本だった。虹色のキラキラとした魚の背景には、強い朝焼けの光が。その二つが重なり合うことにより、私の脳裏に13年経った今でも記憶を消さずに存在している。私はあの光景から何を得ることが出来るのか。私は出来ないのかもしれない。他の人には出来るのかもしれない。でも、他の人に出来なくて私にしか出来ないことあるだろう。得意不得意があるのは勿論承知している。でも、私もあの光景を見たからには何か得たいと思う。強く。海の中を、水の中を泳ぐ魚ではなくて、光の中を泳ぐ魚を見たいのかもしれない。無音の中の温かい光に包まれて漂う虹色の魚の鱗は光り続けている。いつまでも。本当はもっと他に伝えたいことがあったのか。自分の力で何かを生み出して、それを認めてほしいのだと思う。心の底から認めてほしい。沢山とは言わない。一人でも充分だ。そんな人はいないかな。誰にも認めてもらえない。誰にも話を聞いてもらえない。何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。何も思わない。

メモ

ねえ…キミはどうして口を隠した自撮りを投稿するの…?口が臭いの…?

僕は殺したい人間がたくさんいるけど、それ以上に幸せになってほしい人間がたくさんいる。こう思えるのは幸せなことなのかもしれない。でも電車の中でクチャクチャ音を立てながらガムを噛むやつは早く自殺してね、本当に迷惑だから。

僕は一人で飲むのが好きなんだよ…。仲のいい友達ならまだしも、特段仲の良くない同級生なんかと飲みたくねえよ…放っといてくれよ…。

個人的に思うのは「千羽鶴を被災地に送っても迷惑になる」とかそういう話じゃなくて、「千羽鶴を被災地に送って支援したつもりになってる人って色々とアレだよね」っていうことなんですよね。

見返りを求めない優しさなんて続けてたらいつか酷い目に遭うだけだし、無償の愛みたいなもんは家族にだけ与えてやれば十分でしょ。血も繋がってない他人のために、何の見返りも求めずに時間や労力や金を割くなんてバカバカしいにもほどがある。

8:42.45 id:HeTIulMd0.net
慢心してるよりいいだろ
常に最悪を想定して最善を尽くしてる

mGN0
自分が被害者にならないと、加害者であるということに気づかないやつが多すぎる。


法律っちゅうんは弱いもんの味方やない。
知ってるもんの味方や。

:25.875 id:hrjfZmGN0
建前なら誰も真実の尊さを否定しないが、真実を語るとすると必ずしも歓迎されるとは限らない。


何か判断に迷ったら、人として美しい方を選ぶといいよ。そうすれば、後悔はしないから。


:40.179 id:hrjfZmGN0
前だけ向いて生きていても、敵が前から来るとは限らない。

正論よりも風潮の方が大切にされるのはおかしい


これは真理だよな
受け売りだけど、人の悩みの大半は他人との比較
自分と他人を延々と比べながら死んでいくとかまっぴらだわ


迷ったらやる


自分のダメな習慣を直すには自分を洗脳すること。寝る前、起きてすぐ、軸となる本を読み続ける。それが血肉化したとき人は変わる。騙されたと思って繰り返し情報に触れましょう。

1日1~2冊読んで、1年間で500冊、3年間で1500冊。これだけ読めば
歴史、経済、哲学、社会学などのだいたいの基礎は身につく。

努力するべき3つを選ぶとすれば。

1、専門分野
2、英語
3、目上の扱い

以上になります。

特に3です。皆さんが考えるより遥かに頭のおかしい目上ばかりですから、言葉遣い、身なり、匂い等に気を使いまくってください。

これは教えてくれない最重要なことです。

どうか世の中にはシンプルであってほしい。悪人は根っからの悪人で、善人は根っからの善人で、どこかに悪の親玉がいてすべてを操っていて、正義を持った人は少数で虐げられている。そうでないと自分の頭が理解を仕切れない

社会の中での正義感は発揮しやすいが、会社の中での正義感は発揮しにくい。

現実は常に正しい。見方の癖によって良い悪いがあるだけで


読み終えたら書き写す
次に朗読して暗記するまで読み込む
暗記したら何も見ずに完全に書き写す
何度も何度もひたすら書き写す

これが出来れば頭よくなるだけじゃなく作家になって食っていけるよ

法の精神、社会契約論、国富論、コモンセンス

この辺の世界史の教科書に載ってるレベルの本読んだら
わりと賢くなった気になれたわ
身につけた知識で煽りまくって雑魚はボコボコにしてやるぞ


ここで断言すると、あながち間違えではありません
ただ顔がかっこいいかどうかではなく、表情が大事になってきます
ここでアドバイス
「有吉を参考にせよ!」
有吉反省会怒り新党を観ている人はわかるし観てない人はチェックしてみて欲しい
話を聞く時の相槌はゆっくり
面接官が大事な事を言う時だけ目を見開く
話ながら眉間に皺を寄せたり表情を変える

携帯のメモに、学生時代頑張ったこと
200文字 400文字 800文字を保存していつでもコピペできるようにしておきました
何故なら履歴書を出したり面接をする前は、必ず簡単な質問のプレエントリーを行い
ある程度の人数を弾く為です。これを怠ると面接にすら進めません

究極の嘘をつけ」
よくSランAランには嘘は要らないと思いがちだが、個人的に嘘をつける能力も面接で計っていると感じました

馬鹿正直な人が欲しい企業ももちろんあるが、学生のお遊びの実績なんかあまり興味はなく、それよりも多少の嘘をつきながらも説得力のある話ができるかが重要だと思いました

おそらくサークルリーダーやボランティアの寒い話をするなら、売り上げを上げた話をでっち上げたほうが絶対に良いです

最後に アドバイス
「台本を作るな、脚本を作れ」

面接では必ずされる質問がある
ただそれに胡座をかいてはいけない
あくまで言いたい事を頭に入れといて面接に進むこと

集団面接で多くの台本読み学生を見てきたがこの上なく滑稽だ
面接イコール会話。
友人と会話しているとき、台本を読んでいる友人と話していて面白いだろうか考えたら分かると思う

会話、面接は生モノだ。
その場その時をもっと楽しんで欲しい
就活を恐れるな

面接官をリスペクトし過ぎではないかな
君はやればできるって良く言われなかったか?
面接官と勝負してみなよ、どっちが先に目を逸らすかさ

 

想像力が全てを変える

全ては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。逆に言えば想像力のないところに責任は生じない。

情報の選別をしないといけないけど自分の目で直接見たものじゃないと信じられないよ。
調べるよりも行動を起こさないといけない。
無駄な事も、沢山あるけどとにかく行動しないと。百聞は一見にしかず


相手が理不尽なことで怒って来るときは反抗した方がいいの

どんなに努力しても報われない人はたくさん居る

どんなに不出来でも何かが出来上がるというのは快楽があるものだし、上手い未完成よりも下手な完成品の方がいいのだ。


奇狼丸
繰り言は墓に入って蛆に言え。

 

ふいくらでも頑張るべき、踏ん張るべきチャンスはあった。そして今もきっとここにある。けど踏み出すことができない、ただ流れに身を任せて下方へ落ちていくことは許せても、奮起して立ち上がることはどうしても許せない。

みんなでキメ顔して写真撮ってる中、一人くしゃっと笑う子がいた。撮った写真では一人だけ目が小さくて笑いシワができていたんだけど、自然で可愛かった。なんかあの子、たくさんの愛を受けて満たされて生きていそう。


正直 自由 孤独 嘘 不自由 。 人間の生き方は、 上に並べた5つの言葉のうち となりあう2つのみを選べる。 左に行くほど幸せで、 右に行くほど不幸になる。

「実際見たものは汚いものであっても、僕の心の中では昇華されて、美しいものに変わっている。」(『泥の河』について語る宮本輝NHK

人間の心理だと思うけど、相手から嫌われてると思うと自分だって嫌いになるよね。だから異性叩きをわざわざ時間割いてするような人間は間違いなくもててないです(自己紹介)

営業の話だとして、やっぱり物を売る際って、よく売れてる(選ばれている)、評価が高い(みんなが認めてる)ってことをアピールしない?あなたしか買う人いないんですよお願いします!ってより、早く買わないと売り切れますよって言われた方が購買意欲わくじゃん。

昔本で彼氏との旅行に行くときでも好きな本持っていけるような女(彼氏といながらも自分の時間を持てる女って意味だった)が幸せになれるって読んだけど、あれ結構鋭いとこ抉ってる。彼氏以外なにもいらないなんて恋愛は、人生を細らせる。

シルクみたいな髪って本当に目を引き付けられる。高価なアクセサリーもいいけれども、ヘアケアに力入れる方が目を惹く美人になれそう。

だいたいの人に迷惑かけてる親って、自分の子供が自分にとって大人しくしているかどうかしか見てないよね。例えば自分のスマホの邪魔をしなけりゃ、いくら騒いだり走り回ってても大人しいみたいな。でも子供が親の邪魔し出すとキーキー怒りだすよね。

もてるためには~とか異性にガッカリされないために!とか、異性受けする格好や行動みたいなウンココラムよく見るけど、ほとんど女性向けなんだよね。男性向けは需要ないのかな?

そんなに嫌いじゃない人が自分スゲー!将来は~みたいな話し始めると、あ~今オナニーしてんなぁ気持ちよくなってんなぁうんうん気持ちいねえって微笑ましい気持ちになる。嫌味とかじゃなくて。気持ちよくなれてよかったねえてなる。@rarayukimera 気分的にはでかいうんこが出てよかったな!スッキリしたっしょ!て感じ。

@rarayukimera 気分的にはでかいうんこが出てよかったな!スッキリしたっしょ!て感じ。

電車に乗ってると、窓からたくさんの家が見えて、洗濯物だとか家の明かりだとかで、誰かがそこに住んで生活していることが分かる。今後一切関わることがないだろう人たちが各々の人生をそこで歩んでるってのになぜかはっとした気持ちになってしまうんだけど、わかる人いますか?

この世で一番性格悪いのって、裏では○○って痛くて面白いよね(笑)ヲチっちゃおwwって悪口いうのに本人の目に見えるところではめちゃ好き好き仲良しだなんてアピールするやつでしょ。
美人ていろんな美人に似てる。ブスはカテゴライズされるだけで、いろんな人には似てない…ブスはオンリーワン。遺伝子の「外し」


シャネルのファンデ、やっぱり粒子が細かくて?好き。塗ったときに粉っぽくならないとこがいい~

「自分でできる」は財産だと思う

勉強ができればできるほど、仕事ができればできるほど、女であるより男である方が都合がよく、その逆の場合は女である方が都合のいい世の中

男女関係なく人間的に愛されない人って、絶望的に客観性がない。


私は所謂キラキラ女子の何が苦手かと言うと、その想像力の無さだ。彼女たちの純粋さと無知に、持たざる者が知らず知らずのうちに傷つけられている。誰も何も悪くない。けれど、彼女たちの「だって当たり前なんだもん」に真綿で締め付けるような苦しさを「勝手に」私は感じてしまう。


世間とは自分だ、自分が許せないことを世間様のせいにしてはいけないって誰かが言ってたけど、なるほど的を得てる…

なぜツイッターの男たちは自分の体の醜い部分をわざと載せるのか。女の私にはよく理解できないけど、たぶん露出狂が自分の秘部を晒して相手の不快感を煽ることに快感を得ることと心理が似てる気がする。

落としたい女の子がいたら、とにかく酒を勧めて酔わす!みたいな手法使う男が周りに多すぎるんだけど、この方法が一番ゲスできらい!!

今日デブ飯屋さん行ったらめちゃデブの小学生くらいの男の子が、お父さんとすごい量のデブ飯食べてて(大人でも完食きついやつ)久々にマジモンの英才教育ってやつを見た

今日デブ飯屋さん行ったらめちゃデブの小学生くらいの男の子が、お父さんとすごい量のデブ飯食べてて(大人でも完食きついやつ)久々にマジモンの英才教育ってやつを見た

法律上の結婚ってそもそも契約じゃないですか…。それを他人の目がだとか世間様が許さないとかそんな理由で簡単に解除できなくなるってこえーよ…。

痩せたい。そう思った私は1人マックへ…そしておもむろに三角チョコパイを注文すると席に座って貪り始めた。カリッと揚がったパイ生地の中からチョコを探し当てた瞬間、脳みそが悲鳴をあげた。「もう一個食べなきゃ…」

森山直太朗「生きてることが辛いなら〜いっそ小さく死ねばいい〜」←わかる「恋人と親は悲しむが〜」←え?

「自分に自信がない」これだけで全ての物事が悪い方向へ向いている。じゃあ自分に自信が持てるようになるには?と考えると親という存在から絶対的な愛情を注いでもらって育つしかないんだよね。喪女は高確率で親との関係性が悪いって持論は間違いなく事実だと思う

映画「怒り」観た。信じた人は裏切られ、信じられなかった人は大切な人を裏切った。悲しいけどこの社会の縮図のようだった。広瀬すず、今までバラエティとかでしか見たことなかったから人生イージーモードのいけ好かない女だと思ってたけど、天はやはり偏って人間を作ってると思うくらいスゴかった

夏には早く秋にならないかな〜って思うし冬には早く夏にならないかな〜って思うし仕事中は(今日帰ったらあれやろ)とか考えてるし基本的に全く今を生きていない。

何度も言ってるけど他人の幸せを見かける度にそれがどれほど他人であっても惨めさに支配されて気分が落ちるの、本当に普通じゃないと思うからやっぱり病気なのかもしれない。そう思わないとやってられない

こういう人柄の良さが全身から滲み出ているような人を見かけるとどれほど愛情のある環境で生きてきたのだろうと自分のことがより一層惨めに感じられて涙が出てくることが昔からしばしばあるんだけど自分じゃ気付いてないだけで精神病なのかな

人からどう思われるかでしか自らの幸福を測れないから私には何かと比べるという判断基準しかない。自分と全然関係ないブスの同級生が結婚出来た(しかもこんなに早くに)のに私は生まれてこの方誰からも好意を持たれてないという比較した事実だけが重くのしかかる。全く仲良くもないのに。


去年までは1人でも平気!と思ってあれこれ出かけたりしたんだけど、やりたかったことを達成した喜びより孤独が増しただけだし、誰かとその行為を共有しなければ家にいるのと同じなんだって気付いたらどうでもよくなって今年は何かする気にすらならない。こうやって人は気力をなくして死んでいくんだな

>RT 女の子の可愛くなりたいとか1番になりたいとかいう願望って根本的にここから来ている気がする。誰かと比べられて惨めな思いをしたくない、貶められたくない。劣等感って何よりも人を動かす原動力だと思う。

青い空、白い雲、低い年収、無理な人生


投票所の前で写真撮ってSNSにアップして"選挙行ってきたアピール"してる奴、漏れなく全員気持ちわりぃ☺️

昨日は面白い人と会って面白い話を聞くことができた。そのときはただただ圧倒されていたけど、あとからいろいろ思い出されて、とても楽しい。面白い本や面白い人と出会うほど、面白いことはない。そして、自分は「面白い」と思うことが本当に大好きなんだなあと、しみじみ思う。

 

大学時代僕は本ばかり読んでいた。『僕はこんな7流大学に来たけど本当は頭が良いんだ!君達とは違うんだ!』と思ってた。でも誰かに分かって欲しくて、入学後すぐの授業の自己紹介で『趣味は読書です』『何を読んでるんですか?』と聞かれ『なぜ人を殺してはいけないのか』ですと答えた時の教室の空気

自分には幸福も不幸もありません。ただ、一切は過ぎて行きます。自分が今まで阿鼻叫喚で生きて来た所謂『人間』の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思はれたのは、それだけでした。ただ、一さいは過ぎて行きます【人間失格

恋愛やセックスについて納得できる文章が書けたら死んでもいいと思ってる


『ブサイクを言い訳にして現実から逃げてるだけ』だと?
大当たりだよ!馬鹿野郎!

『恋がしたい』と本気で思った。僕ら非モテに圧倒的に足りないのは『勇気』ですね。間違いない。


自分が感じたこと、見たことを正直に書いて、それが第三者の心にどれだけ響くか、どれだけ共感させられるか、心を揺さぶれるか、それを試したい。自分の文章にどれだけの普遍性、おもしろさがあるのか、それを知りたい。

こんな時間に起きてしまって孤独と不安と寒さで震えてる。今の仕事を辞める喜びと新しい仕事や人間関係に対する不安。僕は自分が思った通りの人間になれるのだろうか。綺麗な彼女も高収入も親友もいらない。みんなの心を揺さぶれるような文章が書きたい。ただそれだけ。


語学、会計学、不動産、
投資などのみ語っても面白くないし、

超能力、UFO、霊格だけ語っても、
怪しいだけだろう。

しかし、それらを同時に語り、
それに連なる形で、
健康、食品、医学までも語る。
で、結果を残す。

まあ、確かに「何者?」と、
思われても仕方ないかもな(笑)。
簡単に書くと、

「不安の正体の9割は情報不足」と、

分かったので、
勉強しまくったわけですよ、お客さん。

なので、貴方も大丈夫ですよ。

無限の宇宙に対しては人間など取るに足らないちっぽけな塵に過ぎないのに私はミクロの世界で説教されている

会社入って思ったのが自分がどうであるかよりもどう見えるかを重視する人か多くて何で???な気持ちになったけどずっと会社に勤
めること前提ならそうなるなとも思った


好きな人と温泉いって美味しい魚介とか食べてしっぽりしたいわぁ

 

スペックじゃなくて行動で人を判断すべき

口角下がってる人が意地悪じゃなかったことないんだけどどうして?


男女関係なく人間的に愛されない人って、絶望的に客観性が

幸せにはどんどん鈍感になっていくのに、不幸に対してはいつまでも敏感なので困る。

あなたはナイーブで傷つきやすい少年としてではなく、一人の自立したプロフェッショナルとして、過去と正面から向き合わなくはいけない。自分が見たいものを見るのではなく、見なくてはならないものを見るのよ


なるほど、実は声ってルックス以外では結構重要なファクターだよな
優先順位は
1、ルックス
2、声質
3、体型
だったりする

 


誰も彼も人間なんてみんな性格悪いんだから、なんとなく「性格悪そう」なんて言っときゃそれに似合った解釈を誰かがしてくれるわ

めちゃめちゃつまらない話しかできない男に「彼女のどういうとこが好きなの?」て聞いたら「俺の話を聞いてくれるとこ」って答えてた。

 

雪女‏ @rarayukimera
痩せてた時は自己肯定力が強くてよかったな。毎年夏になると体調崩して5キロは痩せるから、ノースリーブをがんがん着てたな。だって細い腕に似合うし、冬に蓄えた脂肪を落としてすらっとした腕を出すと、痩せたね!と驚かれるのも気持ちいい。例えブスでもほっそりしてる方がずっといいもん。


雪女‏ @rarayukimera
一度冷めちゃうとひたすら減点方式になっていく。魔法の言葉は「でもきもいじゃんね」

いろんな方に薦められたグロテスクを読み始めたんだけど、冒頭ですでにウヒー!て唸ってしまった。おっさん達がこれはセクハラじゃないからね、とか、あーこいういうのはセクハラになっちゃうんだっけって言うの、すごく身に覚えがあって

ブスに生まれたのは仕方ないけど、化粧もダイエットもしない努力しないことが許せない、みたいなのがこないだ流れてきたけど、そういう人は「人に対して優しくある、寛容である」方面の努力は一ミリもしないんだなーと思いました、まる。

でも、こういう人は自分が外見は少しでもよくするべきって価値観に、がちがちに縛られてて、縛られながらそれに傷つき続けてるんだろうな、とも思う。
別に優しくまではしなくてもいいから、自分に関係ない他人に難癖つけない程度に口を閉じる思慮深さみたいなのは持まった方がいいんじゃないかと。

結局~すれば~になれば幸せになれるって価値観がもう悩みの始まりなんだよね。幸せに絶対的な条件なんてないのに。

哲学に興味が無い人でも、ニーチェだけは読んだほうがいいです。なぜかというと、くだらないからです。くだらない本の頂点に君臨し続けているからです。くだらなさのスケールが違うからです。


僕はまっとうな人間じゃないし、まっとうな人間のフリをするのはとても肩が凝るから、というかそんなことをするのなら何のために今の生活をしてるんだろうという話になるから、まっとうじゃない人間なりの視点でこれ

時間の流れが無くなれば、感動や、心地良い普通の意味での喪失感なども無くなる。たとえば、夏の終わりに感じる感傷を二度と味わえないのではないかと恐ろしくなったりする。

「いい話には利益が。悪い話には解決のヒントがあるんですよ。」


「物事はどんな道筋を通っても、同じ結果になる。」


「悪は悪だけでは成り立たない。同じように、善も善だけでは成り立たない。いまは善のバランスが、悪に勝ろうとしているだけです。」

 

重要なのは、二重性である。正しい生き方があるとすれば、それは、物語と非物語の彼岸でなければならない。と言って、具体的にはそれが何を意味するのかよくわからない。

 

生の人格というのは、自由で、動的で、感情的、冒険的、情熱的、物語的で、視点依存的で、外に広がっていくものである。
死の人格というのは、自己完結的で、静的で、理性的、論理的、計算的、記号的、意図的、俯瞰的で、内に閉じ篭っていくものである

シンプルになるのは簡単である。何かひとつ強い目的があれば、世の中は秩序化されて途端にシンプルになる。しかし、「生きる」ということが背後に控えていない限り、「自分が、家族が、親しい人が、人類が、生きてゆけさえすればいい」と思えない限り、「生」が人格の全体性を支えてくれない限り、そんな目的などありえず、生きている限り必ずどこかで矛盾が生ずる

殺人は悪、裁かれないのは倫理に反する、という絶対的な模範解答が念頭にある人たちにとっては、この映画は許せないものだったのでしょう。
方程式でも何でもなく、ただの不正解でしかないのでしょう。
それはまるで映画の中の資源開発側と反対派それぞれが自分たちの正義を信じきっているように。

 

こちらは完全かつ徹底した個人主義者のため、個の尊厳は神聖不可侵であり、集団よりも個が絶対的に優先されると本気で思っていますが、だからこそ自分の中に法律を、警察を、裁判所をきちんと設け、利己主義に走らないように常に気を配っています。
無論、個人主義者ですから集団主義者とはいろんな点で違いはありますけどね。右に倣うことは絶対にしませんし、人の意見に黙って従うこともしません。
みんながやっているから、という理由では絶対にやりませんね。そういうの嫌いなので。
あくまで自分が一つの国家としてきちんと運営されるため、自分の頭で必死にモラルやマナーの重要性を把握し、自分の裁量のもと、自分の責任によって守るわけですね。
だってそういう自らを律することこそが、モラルの土台であると考えているからです。


その人はそんなことできない。
何故ならそこまで考えてないからです。
ただわがままなだけ。お子様なんです。
個人主義者ってのは自分を本当に大切にできる人間以外には基本的に無理なんですよ。

僕は車でヒトラーの所へ行く。彼はちょうど食事時だろうと思っていたら、さっと立ちあがってもう僕たちの前に来ている。僕の手を握った。まるで古くからの友人のように。あの大きな青い瞳。星のようだ。彼は僕に会えてうれしいという。僕はすっかり喜んだ。(中略)彼はさらに半時間演説した。機知、アイロニー、ユーモア、嘲罵、真摯、激情、情熱を持って。王者たるすべてをこの男は持っている。生まれついての護民官。未来の独裁者。


無一文は極端だが、つまるところ、純粋な冒険は日常生活にしかない。しかも、日常生活の一部ではなく、その全体にしかない。ただ単に生きること、それが一番の冒険である。
装備を整えてエベレストに登るよりも、その辺の森や河原や街中で単に生きるほうがずっと冒険欲を掻き立てられる。それは、マネーゲームよりも直接的で、かつ、全体性を持ち、そして固有なものだからである。


組織に依存することなく、歌や踊りや接客で他人を騙すこともなく、わけのわからないものを売りつけることもなく、独力で生きてゆく手段を得るために、釣りへ行っ?た。
僕は独りで生きてゆけるようになることでしか、心の平穏を得ることができない。

一昔前のこの附近の百姓の食事は、麦飯に醤油のもろみ、漬け物で、結構美味しくて、それで長寿で体力もあった。月一回の野菜の煮ものがついた小豆飯は最高の御馳走であった。
 それで栄養がとれていたということはどういうことか。


僕は、生きているのはその人間ではなくて、説教のほうだと感じることがある。知識や思想、価値観のほうが自分を主張したがっていて、人間のほうはそれに突き動かされて説教マシンになっているだけなのだ。

価値観という言葉はもったいないかもしれない。その人間は「金」「仕事」「社会的体裁」の三語くらいで間に合う言語空間しか持っていない。札束で顔を引っぱたいてやれば腰を抜かすだろうが、そういう仕返しでは同じ言語空間に巻き込まれるだけである。

関わらないのが一番いいが、そういう人間は得てして厚顔でデリカシーが無く、否応無く他人の生活に土足で踏み入ってくる。本当にどうしようもない害悪なのだ。

大袈裟に言っているのではない。「他人は他人である」という心得は、IQで測れない人類の知能の発達を意味していると思う。説教をする人間、他人に対して何か言わないと気が済まない人間というのは、個ができあがってなくて、自分と他人との境がぼんやりとしているのだと思う。


 スラッシュを入れ、キーワードを囲み、マーカーを引き、アウトラインを抜き取り、図表からのデータは拾い出して自分でも加工してみて、引用箇所は文献リストに挿入して、誰のどんな著作から何が引用されているか一目瞭然となるように整理すること。


熱が出たとき、下痢をしたとき、吐き気を催したとき、「嫌だなぁ」じゃなくて、「おお、がんばっとるな、ワシの体」と思えるようになるだけでも、全然病気に対する心構えが違ってくるんじゃないだろうか。

超短期バイトは、忙しいときに、仕事ができない人間を一人置くことで周囲の気を楽にするというか、弱い者が傍にいることで自分の行動に無根拠な自信が持てるようになるというような、慰みモノとしての役割もあるんじゃないかと、まじめに思った。


出会いを恐れているけれど、出会ってしまえば、偶然性が合理性を飛び越えて、良い結果や悪い結果をもたらしたりする。


おぞましいことがズラズラと書かれていた。
「英語を徹底的に身につけろ」とか、「図書館の棚の本を1日15センチ片っ端から読む」とか、「いい人脈構築には、『人生論ではトルストイもいいが、セネカの方が深い。ローマ時代から学ぶものは多い』等と教養を見せると非常に有効だ。」とか、狂気を感じる。
何か目的のある上昇志向じゃなくて、上昇志向そのものに酔っている、自己目的化された上昇志向。何より、筆者のいう「世界」に、ひとつもワクワクしない。こういうことに巻き込まれなくてよかったと心底思う。
『君は』のいいところは、肩書きがいっぱいあるから、筆者に対して遠慮なく文句を言えるところだと思う。
運賃はだいたいの見当をつけてから交渉するんだけど、どうも、払いすぎたらしい。
金を渡すと、漕ぎ手のおっちゃんはその紙幣に何度もキスをして、天を仰いで神に感謝している。

その感謝っぷりが半端じゃない。客の僕はしばらくそっちのけだ。僕に感謝してるんじゃなくて、神様に感謝してるわけ。

フルタイムで住むための小屋じゃなくて、仕事のための離れ小屋です。
ポラン氏はその小屋を「白昼夢のための隠れ家」(shelter for daydream)と呼んでいる。実際は小屋に篭って空想してたわけじゃなくて、ノンフィクションを執筆していたわけだけど、なかなかいいネーミングです。

小説を書くためには、年に五百ポンドの収入と、ドアに鍵のかかる部屋を持つ必要があります。
本当は「女性が」という主語がつくんだけど、男とか女とか関係なく読めると思う。「ドアの鍵」は「自分で思考する力」を意味し、
作家が彼の経験を余すところなく伝えていると私たちに感じさせるには、精神全体が広く開かれていなければなりません。自由がなければならず、静穏がなければならないのです。・・・カーテンはぴったりと引かれていなければなりません。


自分だけの部屋 (ヴァージニア・ウルフ・コレクション)









昔親父とよく山歩きをした。登山コースも歩いたけど、地図とコンパスを持って、「このへんは歩けるんじゃないか」ってな具合で進んでいくと、動物が横切ったり、誰かが何かを建てた形跡があったり、集落に出たり、一日で一生分生きた気がして、一生分生きたのにまだ明日がある、つまり俺は永遠に生きているんだなと思った。

ヴィトゲンシュタイン

がこんなことを言っています。

 

重要なのは、何を食べるかではなく、毎日同じものを食べることである。


生活自体に、厚みとか、変化とか、昂揚感とか、選択肢の多さとかを、求める必要は無い。
変化は生活以外のところに生じるべきです。
厚みのあるジュージツした生活というのは、要は、いろいろ面倒でやることが多い生活です。
生活以外のところには、確かに迷いや不安や欲などありますが、生活自体はいたって満足。
トイレもキッチンも、適当に作ったわりには、非常にしっくりきてます。




幽霊や妖怪を、世の中の(一見)不思議と思われる現象を「説明」するための道具として捉える考え方がある。京極夏彦とかもそんなスタンスでしょう。
怖い怖いといいながら、それでも、妖怪なるものが裏でいろいろやってるということにすれば、一応納得はいく。そういう舞台裏が無いのが一番怖くて、人間はそれを直視できないから、次善策として妖怪を登場させているわけです。まぁ、宗教みたいなもん。対象としているのが、日常的な些細な出来事か、生と死や宇宙といった壮大な装置かの違いだけ。日常的なちょっとしたできごとは、妖怪さんに、宇宙全体は、神様に登場してもらって、うまく世界を「閉じる」。

興味無いから何か書こうと思っても、言葉が出てこない
言葉が無いから、興味も沸かない

「なぜ、自然に興味が無いか」についてなら原稿用紙1000枚くらい書けるんだけどね。
「「なぜ、自然に興味が無いか」についてなら原稿用紙1000枚くらい書ける」ことの理由なら原稿用紙10000枚くらい書けるんだけどね。

客は神様ではなく友人、仕事と趣味と社会活動をなるべく切り離さないようにする、支出の少ないライフスタイルを愉しむ、生計との闘いにしない、などを挙げている。

な精神論を延々と説く啓発書は全部焚書でいいよ

印象に残ってるのは、ご主人が

「(息子に)本の世界にこもって欲しくない」

だったか、一字一句覚えてないけど、そんなようなことをおっしゃってた。実体験から学んで欲しいとかそういうことらしい。
気持ちはわかるんだけど、言葉や文字、記号に書き表して受け継がれてきた知識の恩恵をどれだけ受けているか、あるいは過去の人が、自然や直観をあるがままに放っておけば楽なのにそれを記号化するためにどれだけ苦労してきたか、ご主人は考えたことがないんじゃないかな、とそんなことを思いながら



『森の生活』 のソローも、食べ物、住居、衣服、燃料などの生活必需品は全て、体温を保つためであるとした上で、 


 贅沢な生活ができるほど金持になった者は心地よく暖かい生活をしているのではなく、不自然なまでに熱い生活をしているのである。つまり、彼らは料理されたのである。

一対一でお互いのことをちゃんと理解しあうコミュニケーションは好きだ。理解が滞ったときに沈黙が生まれても気にならない相手だとなおいい。一般に会話はリズムを重視しすぎると思う。複数相手だったり、一対一でもその相手が属する共同体の全員を背後にこっそり&ごっそり引き連れて語りかけてくるようだと、コミュニケーションは途端に難しくなる。


丸山は、田舎暮らしなどという安易な選択は「自立の精神の欠如」に起因しているという。


>与えられる情報を吸収するだけで精いっぱいだった、どこまでも受け身なその頭のなかは、逃避の悪臭に満ちた、非現実的なイメージの数々で埋め尽くされているのではないでしょうか。・・・現今の社会においては立派に通用する学歴を得て、そう簡単には失われそうにない、安定した堅い職を得て、社会の一員として疑われそうにない平均的な家庭を得て、二人か三人の子を儲け、かれらが無事に巣立ってゆくところを見届け、さほどの支障もなく勤めあげた半生を背景にして、生き方についてはそれなりの自信を持っておられるあなたにとって、今さらながら自立の有無を問われることは甚だ心外なことでしょう・・・親に依存し、学歴に依存し、職場に依存し、社会に依存し、国家に依存し、家庭に依存し、酒に依存し、経済的繁栄の時代に依存しながらくぐり抜けてきた数十年のあいだに、自立の機会をことごとく失い、単に自分に課せられた勉強や仕事を通してのみ知り得る現実の厳しさだけを認識しているばかりで、本当のあなたは、自身からも世間からも逃げて逃げて逃げまくってきたのではないでしょうか。

専門家の知識の99.99%は他人の知識だ。
そういう判断の仕方を「生きていこうとする力」と呼ぶのは語弊があるかもしれないけど、「理解する」ってこととは全然別の種類の、直接人間の心に訴えかけるような方法(大きかったり、奇麗だったり、整っていたり、ハッキリしていたり)でもって知識を獲得している。



私の友人はよく、「何らかの語を共有することは、それにまつわる思想を全て共有することだ」と言っている。私も同じ考えです。これの対偶をとると、思想を共有していなければ、同じ語を使うことは本来不可能、とい うことになる。

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既に理解してるってことで。
学校や職場でも、「わからないことがあったら質問してください」とかよく聞くけど、
質問できるくらいなら自分で考えてるし、わからないからこそ質問できないわけで・・・


何かがおかしい


何かが変だ。

コンビニのレジでピッとかやりながら一日立っていたとすると、6000円もらえる。するともうほとんど一ヶ月食える。
どうしてこんなに恵まれているのか?
自分が恵まれている分、誰かが苦労しているのだろうか?
それは、外国の人なのか、国内の労働者なのか、モノや仕組みを作り上げた過去の人間なのか、あるいは人間以外の動物や微生物なのか?
それとも、「働かざるもの食うべからず」というのが一時の幻想だったのだろうか?それを信じているから不思議に思うのか?
科学技術の発展がそうさせているのか?通信技術・輸送技術が発達して人間お得意の分担作業に拍車がかかったからか?
それとも、子供を育てることを考慮していないからだろうか?いや子供なんてもう6000円あれば立派に育てる自信がある。
考えるべきことが多すぎて、何がなんだかよくわからない。

無限の宇宙に対しては人間など取るに足らないちっぽけな塵に過ぎないのに私はミクロの世界で説教されている

 

森の生活-ウォールデン- ソロー

贅沢な人間や放蕩者だけが流行をつくり、
その後を大衆が群をなして嬉しそうに追いかける。(p.56)

しかし私は賢いから汽車などには乗らない。わたしが既に知っていたことは、最も迅速な旅行者というものは歩いて行く人だということだ。君が今日、汽車賃を稼いでいる間に私は既に徒歩で出発している。(p.78)

ゴミも拾えない人間が美しいだなんて。
汚いものをしっかりと認識して、改善ないし、捨てることが出来る人間が美的感覚の備わってる人間であることに私は気づいた。

 


人生において何かを間違えた、という実感は無いな。
間違えたことが無い、ということじゃなくそれが自分という人間の限界だと思う。
たとえそこで間違えなくてもいずれ間違えてる。

あの時間違えた、と思える奴は
それ以外は間違えなかったという自信のある奴。

俺はそんな風に思えない。
どの道を選んだところで、自分が自分である限り
物事は良い方向に進まない気しかしない。

結局、自分が変わるしかないんだと思う。

 

Inc.:ありきたりな言葉はなんの役にも立ちません。私も何回それらを取り入れようとして失敗したことか。

「やってみよう!」「今日を精一杯生きよう!」「やる気を起こそう!」

まったく、冗談じゃありません。

私が知りたいのは、どうやって生活の質を向上させられるかです。実際にやる気を奮い立たせる方法、効率の良さを維持する方法、仕事を楽しくする方法、
自分の長所を伸ばしながら本物の達成感を得られる方法を知りたいのです。

そこで今回は日常的に取り入れられる、日常を飛躍的に向上させる意外な習慣を10個紹介したいと思います。

1. 方法論にこだわりすぎない

2. 自分にぴったり合う洋服に投資する

3. 瞑想する

4. 立ち作業デスクを購入する

5. 少しのあいだ電子機器をシャットダウンする

6. 早起きする

7. 読書する

8. 人生で少なくとも1回は違う街に住む

9. 書く

10. 自分をさらけ出すことを恐れない


ブスやババアを徹底的に褒める


笑顔、挨拶、お礼、おわび、これだけ気がけるだけで良い


何かやろうって決めてもなかなか続かない、自分との
約束が守れないって奴は
『自滅する選択』
『誘惑される意志』
の2冊を読んでみるといい

定番だけど、『7つの習慣

自治区)@\(^o^)/2016/08/05(金) 11:43:43.98 id:VJnpW1Ke0
早起きする
30分単位で集中するクセをつける
世界史を勉強する

@\(^o^)/2015/06/06(土) 03:58:33.17 id:akEjhrCJ.net
世の中には「電話する人」や「誘う人」より、「電話を待ってる人」「誘いを待ってる人」のほうが全然多い。
つまり、需給関係的に言って圧倒的に「電話する人」や「誘う人」のほうが有利だぞ。
そこに気づくと一気に楽しくなるぞ。

  「他人に傷つけられた」とか言っているやつは、自分が最終的に自分を傷つけているのだと気づいたほうがいい。君の同意なくして、誰も君を傷つけることはできない。「馬鹿」と言われて、最終的に馬鹿という言葉を受け入れているのは君自身だ。傷ついた(泣)じゃねーよ。被害者ぶるな加害者だ。