自分自身へ

知識がないと自分が騙されてることにも気づかない。

知識がないと自分がどう得をしたいるのかもわからない。

知識ないとこれからどんな損害が生じるのかもわからない。

知識がないと現場が今どんな状況なのかも理解できない。

知識がないとお客様が何に困ってるのかもわからない。

知識がないとコミュニケーションな幅が広がらない。

知識がないと、応用することも出来ない。基礎がないから。

知識がないとアイデアも生まれない。

知識がないと常識もわからない。

知識がないと善悪もわからない。

知識がないと段取りもわからない。

知識がないと人を幸せにすることも出来ない。

知識は力、力を生かすか殺すか。

フランシスベーコンは

「観察と実験」の反芻が新たなる発明を生むと推測した。自然(現実)をしっかり「観察」し、さまざまな「実験」を重ね、その結果をじっくり検討しなければならない。

発見をする為には、思い込みでは物事を判断しない、見たいものだけ見るのではなく、少し面倒でも、とても面倒でも疑ってみる。そして肩書きや年次に騙されない、間違ったことも沢山言うのが人間。

 

法則1 世界を変える旅は「違和感」からはじまる
法則2 冒険には「地図」が必要だ
法則3 一行の「ルール」が世界を変える
法則4 すべての冒険には「影の主役」がいる
法則5 ミライは「逆風」の向こうにある

 

まだ10時

 

まだ10時?もう10時?

 

とても眠いです。最近、仕事に対しての思いが自分なりに形となってきました。仕事に対しても、生きる事に対しても、人と話すことに対しても、料理を作る事に対しても、一日を、一週間を、一ヶ月を、一年を過ごす上でも、こだわりをもつことは大切ですね。誰かの真似をする事でもいいと思います。そうしてずっと真似をし続ければ、それはいつしか自分のものになります。行動のルーティンとして組み込まれていくこだわりはいつしか個性となるでしょう。こだわり、個性がない物体は見劣りする上に、そもそも興味が湧かないでしょう。他人が思わず、「どうして?」と聞いてしまうぐらいの私の独特のリズムを放つことが出来たら勝ちだと思います。実際には負けていても、自分の中では勝ちです。

夏目漱石の「こころ」の一節、先生がKに対して「おれは策略で勝っても、人間として負けたのだ」という思いを書き連ねていたのを思い出します。

現実的な、理論的な、哲学的な、そういった常識によってある種、当てはめられた考えに沿ってものを考えても感情という部分には勝てないことがあるのです。

 

私たちは人間なのです。「血も涙もない」わけがないんです。ロボットではないんです。近年、ロボットが私達の暮らしをより豊かにするなんて言葉をよく聞きます。しかし、真実と感情という観点からロボットには真実を見ることは出来ません。真実を導き出すことは出来るかもしれません。しかし、見ることは出来ないのです。

1986

 

「小さなルールを守っていれば、

大きなルールを破る事ができる。」

小さなルールを守る事により、

信用信頼が積み重なって、その陰に隠れている大きなルール破るもうっかり見逃される。

 

「何かをやらないよりやる方が好きな人間だから、というだけさ。僕たちが今やっているゲームでは、こちら側に勝ち目は無い。ただ同じ敗北でもましな敗北がある、それだけだよ」

 

「夢は夢として、それとは別に夢に付随する記憶が、目覚めて数秒のうちに心の中に流れ込んできたのだ」

 

 

「無知は力なり、戦争は平和なり、

戦争は平和なり」

 

「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」

 

存在が何を意味するのか

 

 

愚かしいです。

継続することが自分の1番の力になることは、重々に理解していながらも続きません。このブログ。

 

苦になるぐらいならやらない方がましなのではないか、そのような考えもありますが私は絶対このブログを書くべきであります。

 

私の為に必ずなります。

 

そもそも文章を読むことがとても好きであり、文章を書くことがとても苦手であるのはインプットに比較してアウトプットが極端に少なすぎたのです。そりゃあ、何度も繰り返さねば人は成長しませんよね。

 

今日のブログはある方を少し意識して書いております。

 

誰かお分かりになります?

 

絶対わからないでしょう。

 

正解は、死刑囚の木嶋佳苗さんです。

 

あの方のブログは本当に凄いです。

リーダビリティに優れてますし、あのブログを読むと木嶋佳苗さんにとても興味が湧き会いたくなってきます。一方で連続不審死事件の容疑者として、確かにあのブログを読んでいると木嶋さんならやりかねないと思わせるような部分が少しばかり見えてきます。

 

通常時の文章はとても品があり、言葉遣いも卓越したもので下手な物書きやコラムニストよりも読ませる力を持ち、感心してしまう人も多勢いるのではないでしょうか。

 

しかも日記という事なので、木嶋さん自身の感情に自由奔放さがあり、かなり内なる気持ちを見せてくれてます。

 

しかし、一度自分の敵となる相手のことを書き始めると、通常時からは想像も出来ない、本当に同じ人間が書いているのか疑ってしまうほどの、内容の酷い低俗な悪口を書き始めるのです。

 

このギャップにまた私は、木嶋さんの虜になってしまいました。

 

通常時は俗物さがなく、明らかにそこらへんの女性にはない魅力が彼女にあるのだろうと確信します。変貌時、彼女は俗物の塊で魅力が恐怖へと変わる程の醜悪さを出しています。これは全て中身の事を書いているので、あしからず。

 

 

ねじまき鳥クロニクル

この本は古本屋で適当に選んで買った。「村上春樹かぁ〜有名だし安くなってるし読んでみるか」そんな軽い気持ちで読み始めた。

全体として面白いことには、確かに面白い。

いや、面白いというよりも興味深いかな。このストーリー、全くもって摑みどころがないんだよね。主人公も、その妻も、近所の子供のメイも、間宮中佐に本田さんも。全てが朧げにストーリーを埋めている。

でも、そんな曖昧な中で生きるということについて様々な提議がされている。

悪意と善意。人に稀に起こる奇跡体験について。人間の信頼関係。

そう、関係性。いつもと違う妻の様子、そこからもう帰ってくることのない妻。

捜すために四苦八苦するも、前に進まない。

そんな中で本田さんから、ノモンハン体験を聞く。『皮剥ぎボリス』『光の洪水』。

人間は沢山の事を見落としがちだけど、それらの見落としていた物事一つ一つに関心を向けられるようになると、発見があり感覚が過敏になり新鮮な体験をできるだろう。でもその新鮮な体験が、良いものかと言ったらそれは一概に言えない。一概に言えないというよりも、良いと思ってもそれは全くの思い込みにすぎない。悪いことを認めたくなくて、良いことしか認めない。揚げの果てに悪いことを認めず、逆に良いものとして認知する。

これはつまり思い込み、そう、暗示でほぼ100パーセントうまくいくことになる。

 

それを否定して、俯瞰的立場で見てるような文章の書き方が村上春樹にはある。

そして、その要素が色濃く表れてるのがこの「ねじまき鳥クロニクル」だ。

 

音は風に乗って私の耳に吸収される。

太陽は光によって私の体に吸収される。

でもそれだけでしか、自然を感じることが出来ていない。

 

本田さんのノモンハンでの体験、

あの井戸の底では、本田さんを待つ人も居なければ本田さんが誰かを待つこともない。ただただ時間軸が横に進んで、自分の体力が下に落ちていく中で、太陽が一番高い位置に来た時だけ起る、光の洪水だけを渇望する。人はもはや関係ない。自然だけが、本田さんの存在を確かなものとしてくれてる。 

人には、喜怒哀楽なんてものがあるけれど本当の感情の源泉はもっと違うものなのではないか。もっと微妙なあまり違わないようだけれど、確かに違う、言葉にするのはまだ出来ない、何か。

 

 

働くことは生きること。働くことは食べることに繋がり、結婚することに繋がり、年を順調にとって行くことに繋がる。働くと人間は成長する。嫌なことがあったら、どうすれば嫌なことを避けれるか、どうすれば嫌なことに立ち向かえるか。自分なりに考えて、答えが出なかったら、調べよう。それでも見つからない時は、とりあえず職場にいって働こう。そうすればまた新たな困難にぶつかって、同じことを繰り返す。大抵人間は、解決せずとも物事のなりは進んでしまう。花はやがて咲き散り、空は色を変え、月は永遠にそこにある。隠れることもあるけれど、やはり永遠にそこにいてくれる。嫌なことがあったら月をみよう。きっと平安時代紫式部も、フランス革命のナポレオンも、みんな見ていたはず。そしてみんな苦しんで、時の流れの中の刹那に哀愁を、感じていただろう。

堕ちた

落ちてきた心の行き場は一体どこだろう?素敵な音楽を聴いてもいまいち精神が正常値に達しない。嫌なことがあるとすぐこう。やっぱり私にはメンタリティの強化はまだまだ難しそうだな。押しが強い人間は苦手だ。強すぎるとやっぱり断れない。私はどんどん食われていくタイプだと思っていたけど、本当に断るのが向いてない。軽くかわして逃げてしまえばいいのに、なんで逃げないの?どうせ自分の体と心を犠牲にして、相手の要求に飲み込まれて欲求の足しにされてしまうのかな。どうしよう。要求してきた相手は何も困らないだろうけど、受けて側はずっと悩むし心配するんだよ。こんな憤懣をここで書いてもどうしようもないのは分かっている。けど、書いたらきっと何かしら影響すると思う。過去か未来か、はたまた現在か。この思いを今に反映させて未来に反映させ、過去すら変えることができたら、、、。悩むことと心配することは生きる上においていらないものなんだよ。それらの種が撒かれないように、悪い芽は最初から断っておくべきなんだ。弱い。押しの強い人は苦手だ。逃げてはダメだよね。強くなるしか道はないの。強くならないと。戦わないと。怖い。けど、これ以上生贄にされてちゃダメだ。私は悲劇のヒロインにはならないんだ。喜劇のヒロインになるんだ。守ってほしいけど、守ってもらえないから。人間、誰しも縋りたくなる。弱いから。誰かのせいにしたいから。誰かのせいなことなんて一つもないのに、全部自分の選択で起こることなんだよ。その結果が客観的に見て、良いものでも悪いものでも主観を変えればパラレルワールドに行くことが出来るかもしれない。

どうすればいいのか全く、わからない。でもそれは皆同じ。直近のことは分かったとしても、何年後、何十年後なんて誰にもわからない。あくまで予想を述べて、それが不特定多数の人にたまたま支持されて、または支持されるようなことをしていると思われる人間が言っているから信じるだけ。予想は外れることを前提にして、言われてる。それが本当に偶然の確率で当たって、それで偶々支持されてきて、なんとなくで影響されているだけなんだ。輝く明日なんて言うけれど、そんなこと誰が言い出したんだろう。太陽は輝いていても、私たち人間は輝いてなんて全くない。無理矢理持ち上げた気持ちはやがてボロが出てくる。今に始まったことじゃない。現在をコントロールするものは過去をコントロールし、過去をコントロールするものは現在も未来もコントロールする。