忘れてた。

まーた、忘れてしまいました。

全く、いけませんね。

 

私はとある事情で、小さい頃から年に二、三回程御茶ノ水を訪れるのだけれど、ここに来るときは大抵雨が降っている。

だから、御茶ノ水=雨っていうのが私の中で出来上がってしまった笑

まだパラパラ降っているよ。

今日はこのあと遅めのお昼ご飯を食べて、プールに行って泳ぎ、そのあとアルバイトがある。

先週は週五で働いたが、アルバイトをしての疲れはあまりない。

どちらかというと、アルバイト帰り3駅分を歩いていることの方に疲れを多少なりとも感じるがこれは自分が好きでやってることだからやめようと思わない。

それに慣れれば3駅分、時間にすると一時間半は結構あっという間で気兼ねなく歩けてしまう。

慣れとは凄いものだなぁ。

今日も歩くか。

泳いで、歩いて。健康的な事をしている。

けれども、健康的な食事はしていないからなぁ笑

意味がない?かな笑。

再三再四

本日、朝方4時に就寝し、起床9時のはずが宅急便サービスの方の呼び鈴に目を覚まし時計を見ると、なんと10時。

急いで支度をすればなんとかなるもので6分で準備を終え家を発つ事が出来たのである。

歯磨き、着替え、持ち物を素早く頭の中で計算し、やるべきはやった。

ただ、一つだけミスがあった。

契約更新の印鑑を忘れるという致命的かつ、私のよくやってしまう常習的ミス。

これでまた一つ、野暮用としてバイト先に来る面倒が増えた。やれやれ、、、

常に持ち歩くか、三つも持ってるからロッカーに入れておけば良いものをどうしてこう学ばないのか自分でも不思議で仕方ない。

3日連続バイトで終えることになった。

終わってみると、「全然できるものだなぁ。」と感じるけれど、やはり嫌なものは嫌だ。

嘘の仮面で笑顔を取り繕って、何を話せばいいのかわからないまま仕事をやっていくのは大儀である。

昼のバイトは、結構お客様で混み合っており賑わいがあるので必然的に大声を出さなければならないのでそれで気持ちも少しばかり高ぶる。

夜のバイトは、比較的空いている為か来店されたお客様も皆、静かに食を進めていくので中々こっちとしても気分がのらないというか笑

空元気も無理な年?無理な精神年齢になってきたな笑

これからのブログ事情

題名に書いた通り、今後のこのブログについて。

一日一回更新でやっていこうと考えていたけれど、3日に一回更新になりそうなので何か考えついたことがあったら、余計なことは考えずに更新していこうと思う。

 

電車に乗っているんだけれどおじいさんが凄いぶつかってくる。年とった人って、神経が鈍ってるのか?背中の神経が老いて、私にぶつかってるってことに気がつかないのかな。

まぁ、全然いいんだけどね。

ただ、いまの私は何かにもたれかからないと立ってられない程、疲労を感じてしまっているからこの場所は譲れないのである。ごめんねじいさんよ。

 

暖かいシャワーを浴びて、芳香良き石鹸で体を洗いふかふかすぎて沈みすぎるお布団、ないしベッドに横たわらせてくれないかなぁ、なんてね笑。

結局

毎日ブログを書こうと決めた直後からから早3日。

他人のブログのチェックは欠かさないのに、

どうも自分でブログを書くとなると忘れてしまう。

いかがなものか、俗にいうアウトプットなるものをしようと心がけてはいるものの難しいものだ。

そういえば昨日から1カ月半ぶりのアルバイトに復帰して本日二連勤目。

久しぶりの出勤で、しかも大変に後ろめたい気持ちを抑えてだったので緊張したけれどなんのこっちゃ、自分が思ってる程、他人は私に関心を持っていない。

この場合は、安心だが、それはそれでどうなのだろうとも思う。

働くことに何の抵抗も持たず生きていけてる人間様羨ましい。

もう私に何の未来もない笑

とりあえず資格だけは取らなければ。

 

 

 

 

今の今まで

前回このブログを更新してからはや2カ月もたってしまった。

やろうやろう、書こう書こうと思っても中々続かないものである。

というか、「やろう!」と思ったことが実行できた試しがないしこのまま死んでいきそう。

気づいたら出来てた、じゃないと遂行することが出来ないのはもうどうしようもないかな。

話は変わるがやはり言葉というのは面白いものだ。組み合わせ次第で相手への伝わり方が様々変化するし、一人一人受け取り方が違う。

同じ言葉を複数の人に語りかけても、十人十色だな。

面白い。

家族がいて、友達がいて、仕事先の人がいて。

でも、それぞれ他人であり自分ではない。

何を考えてるかなんてわからないし、そもそもわかりたいとも思わないけれど皆んな何かを伝えたがっている。

それは何だろう。。。

何だろう。。。

 

映画鑑賞

今日は神宮前にある小劇場で映画を見てきた。
題名はこうである。
『消えた画 クメール・ルージュの真実』
カンボジアの政治家であるポルポトが1973年から始めた独裁国家、その名もクメール・ルージュ
そのクメール・ルージュの時代を生きたカンボジア人の久郷ポンナレットさんを軸に、この映画は作られた。

見終わった後、後ろの人が会話してるのが聞こえた。「他人事とは思えない。」
その言葉について、私は正反対の事を思った。
他人事のような、なんだか掴めない。映像を見て、悲惨で苦痛を伴う恐怖政治はなんだか信じられなかった。わかったふりをしたところでどうなるのだろうか、やはり人は直接自分の目で見たものしか本当の意味では確信をもつことはできないのではないか?そして、自身が被害者になった時、初めて今まで行ってきた立場は加害者であるという事に気付くはずだ。
人づてに聞いた話だけでは無理がある。
私の隣に座っていた人は逆に、ポンナレットさんがこの映画を作るに際してカンボジアへ戻らなければならないが、色々と問題がある為に先に現地を調査しに行ったという。あまり喋ってはいなかったが、少しの言葉にも説得力があった。
やはり自分の目というフィルターを通してでなければ見えないものがあるし、気付けないこともある。

行動を起こすことの難しさ、久郷さんの忍耐強さ、正義感を学べたしやはり世の中のほとんどは綺麗事では済まされないことばかりだと感じた。

本日

今日も2限には遅刻してしまった。
間に合う時間に起きたのに髪の毛を巻くという、しなくてもいいことしたがために時間を取られてしまった。
来週からは友人がその授業にでなくなるので命がけでいかなければならない。
元々友人に頼りすぎている部分が多くあったため、これを機に自立しなければ。
こんな理由で自立するのはあまりいいものではない。自分がいかに他の人に頼りきっていきているのがわかる。
人間は助け合わなければ生きてゆくことはできない。しかし、助けてもらうことを前提にして生きていって絶対にならない。
何故なら、助けてもらう行為に依存して自分から行動する機会減らしてしまうことになるからだ。
これは僅かずつだが人格が歪んでいく1つのポイントになる。
自分で最善を尽くした結果、至らない部分があった場合のみに情の頼みとしてお願い事はする。

そのあとは久しぶりにサークルのホールへ。
久しぶりすぎて中々、何を話せばいいのかわからない。みんな話すことがあるのだろうか?
案外ないとみた。
もう聞き尽くしたことを再度聞くのも気がしれているし、やはりあまり仲がよくない人間とのコミュニケーションを図るのは難しいことだ。
まだまだ、精進する余地はある。
また、周りの人がインターンについて余りにも楽観的すぎて見ていて心配になった。
インターンに行った人が「行かなくても大丈夫。」というのと、聞いただけで実際に行ってない人が「大丈夫。」というのとでは全くもって意味が違ってくる。
些か不安である。