葉桜の季節に君を想うということ

友人に薦められて歌野晶午さんの『葉桜の季節に君を想うということ』を読んだ。友人からは「絶対にレビューを読まないでね、最後に吃驚するよ。」というおきまりの言葉を頂き、「この響きはどこかで聞いたぞ?」と思った。そして私の脳裏には今まで読んできたミステリー作品が飛び交い、我孫子武丸さんの『殺戮に至る病』が思い浮かんだ。後は、乾くるみさんの『イニシエーションラブ』。結果的に言うとドンピシャ。叙述トリック時系列の誤認識だった。確かに時系列をずらして読者を騙せるのは純粋に凄いと感じるけど、この手の作品って大体その先がない。「うわー!騙された!で、この先はどうなるの?!」と思い、読み進めたらすぐ終わってしまう。途中である疾走感が後味の微妙な終了を迎えるのね。恐らく作者の方々はこの時系列倒錯に満足してそこで物語を終わらせてしまう。勿体無い!これ程頭の使う作品を書けるなら、あと少し捻ることも出来ただろうに!あぁ、もどかしい。

でも誤認識すると、自分の思い込みの激しさや疑問の抱き方にとてつもない緩さがあることに気づかされる。私の凝り固まった常識が、他の人には通用しないのなんてザラにあるし、例え自分の目で見たものでも当たり前だと思って信じ込むのはいけませんね。21年間しか生きてないわけだし、知識も少ないし、その中で自分の目を通して物事を勝手に判断するのは良くないね。確かに判断するのは大切だけど、疑問疑問で生きないと。興味を持たないと。興味を持って、疑問を抱いて、取り込んで、確認して。それで知った気になるのはいけない。だからもっともっと沢山の事を頭に入れないと。そして、沢山の話を聞かないと。村上春樹さんの『1Q84』で、タクシーの運転手が言うセリフ「一つ覚えておいていただきたいのですが、物事は見かけとは違います。見かけに騙されないように。現実というのは常に一つきりです。」と、誰が言ったかは不明だけど「物事には必ず二つの側面がある。」という言葉の本当の意味がやっとわかった気がする。中身を確認せずに見た目で判断してしまうことが、今過ごしている生活で多すぎるってことなんだ。口に出して相手に確認しないと。黙って自分の中で勝手に考えて判断して、それで解決させちゃうのはとても勿体無いし、ある意味では悪になるうるかもしれない。情報社会だけど、情報を鵜呑みにするなってこと。見聞きした情報を第三者に流すのは、もしかしたら大変な影響を与えるかもしれない。

独断危険だね。